人間の愚かさを思い知れ。
人間の愚かさを思い知れ。
やあ、しょらー(仮)だ。今日は久しぶりに公園に行った。とある目的があったのだ。そして私は子連れのママさん達に囲まれた。
今日は土曜日である。休みの人が多いらしい。しかし公園が混んでいるのは他にも理由があるだろう。
公園や自然が少なく、子供が遊ぶことのできる場所が限られているからだ。
よって、いい感じの公園は人が集中する。言い方を変えれば、あまりにもお粗末な公園が多すぎる。木が一本も無く、いたるところに【ボール遊び禁止!!】とか、【自転車は入ってはいけません!!】とかの禁止事項が貼ってある。
おいおい、東京のド真ん中、渋谷のスクランブル交差点よりも禁止事項が多いじゃないか。公園ってそんなに危険な場所なのか?公園の周りには高確率でヤクザとクレーマーが住んでいるのか?などと思ったりする。
まぁ仮に公園の周りが全員ヤクザでも、そんなに禁止事項を貼る必要はないだろう。昔ドラマで、「そんなに禁止したいのならお前の顔にデカデカと禁止事項を貼っておけ」みたいなセリフがあったが、私もそれに同意する。
私の近所のコンビニでは、入り口にデカデカとマスクの着用をお願いします、という立て看板が設置してある。しかしそこの店員は、私がいつ行ってもマスクをしていないのだ。
もし私が20代で機嫌が悪かったなら、レジでブチ切れて怒鳴り散らしたかもしれない。
コンビニといえば、先日コンビニに水を買いに行ったとき、レジが混んで人が並んでいたので、私はその行列が無くなるまでの間、コンビニの本を立ち読みすることにした。
その本には、人間には「ゆらぎ」が必要だと書いてあった。心電図をイメージすると、わかりやすいだろう。
上がったり、下がったりを繰り返している。それが一定になってしまうと、死んだ状態として観測される。
そう、人間とは決して一定ではない。常に動き、常に変化している。つまり、ゆらぎがある。人間とは、ゆらぎのある生き物なのだ。
よって人間は、ゆらぎが無い場所に居ると、気が狂ってくる。何も変化しない、いつまでたっても変わらない景観や道路、住宅やビルなどがそうだ。
そのような環境にいて気が狂わないはずがない。その本には、「マウスなどの動物の場合、すぐに発狂します。」と書いてあった。正確には満員電車と同じストレス状況を再現したとき、マウスはすぐに発狂した、という書き方だったと記憶している。
ゆらぎが無い環境は人間にとってストレスである。ではどうすればいいのか?
その本には、なにか風でゆれるモノを目の付く所に置いておくとか、自然のある所に行って、木の葉がゆれる様を眺めるとか、そんな解決策が書いてあった。
ここで冒頭に戻る。そのような理由から私は、木がたくさんある公園へ行って、木の葉の「ゆらぎ」を観察してきたのだ。もうママ達のたまり場みたいな感じになっていたが、私はママ達にはあまり興味がない。ひたすらに木の葉のゆらぎと、無邪気に遊ぶ子供達を見ていた。
そこで思ったことが、
そこで感じたことが、たくさんある。
ただ、感じたこと、自分の感覚を文字にしたところで、それは所詮、文字だ。なので感覚の部分はここでは書かないことにする。それぞれ自分で木のある所へ行ってほしい。
いろいろ書きたいことはあるが、一番思ったのは、人間の愚かさだ。そして自然、つまり人間以外の存在の偉大さだ。
神が創った素晴らしいものを、人間は壊すこと、汚すことしかできない。思い上がるな。
スマホに依存し、パチンコに依存し、アルコールに依存し、砂糖とカフェインに依存し、異性に依存し、気がついたら病気になっていて、病院でまたスマホをいじる……。
人間とはこの程度の存在だ。デブがスマートフォンをいじっている。なにがスマートなんだ?いったいどこの部分が、スマートなんだ。決して○○エモンとか与沢○のことをディスってるわけではないが、デブがスマートフォンをいじることの、どこがスマートなんだ?
どっからどうみても、スマートではない。まず、お前の生き方がスマートじゃない。スマートな生き方ができない人間がスマートフォンをいじったところで、そいつは決してスマートにはなれない。
別に体型の話をしているわけではなく、人間ごときがスマートフォンをいじったところで、ろくなものは生まれないし、人の心は満たせない、という話だ。
人間は木の一本さえも作ることができない。それを育てることさえも。「管理」することはできても、育てることはできない。木を育てているのは土や風や太陽であって、決して人間ではないのだ。そして人間が「管理」をはじめると、大抵はろくな結果にならないだろう。
思い上がるな人間。
自分が何も創り出せないことを知れ。
そして人間の愚かさを、思い知れ。
今回は以上になります。