自転車と人体は精密機械。
自転車と人体は精密機械。
私は昨日はじめて気がついたことがある。およそ一年ほど乗っていた、つまり毎日のように走っていた自転車、毎日触っているはずの自転車。その形状を、私は知らなかったのだ。
やはり人間は、自分のことや目の前のことをあまり正確には認知できない生き物のようである。
それはたまたま他人に指摘されてはじめて気がついた。
私は昨日、自転車のグリップでも交換しようと思ってサイクルショップに行ってきた。長時間のると手のひらに痛みを感じるようになったからである。
しかしそのことを店員さんに伝えると、全く別の答えが返ってきた。
あぁこれはハンドルが曲がってますね。
と言われ私は意味が分からなかった。これはフラットバーのフラットハンドル。名前がフラットだから真っ直ぐに決まっているじゃないか、と。
チミは何を言っているのだね、と思いながらよく見ると、たしかに言っている通り曲がっているではないか。ゆるいハの字型に曲がっていたのだ。
店員さんが言うにはハンドルが下ハの字になっているから、握る部分が少し下がっていて、そのぶん手のひらに負荷がかかる、ということだった。
そこでハンドルをぐりんと回して水平か、少し上ハの字になるようにしてみたところ、なんとなく良い感じがした。
自転車というのは、サドルが1ミリ上がるだけでも乗り味が変わってくる。今回の私のようにハンドルの取り付け角度を変えるだけでも全く別の乗り物になるのだ。
乗り心地が悪くて捨てようと思っていた自転車も、サドルを変えただけで全くお尻が痛くなくなったりする。ペダルを適当なやつに変えただけで一気に踏みやすくなったり、チェーンを清掃するだけで走るスピードが上がり変速時にはパシッ!と気持ちよくキマるようになる。
また雨などでほんの少しの砂が入っただけでクランクが回らない、ゴリゴリ音がする、スピードが下がる、漕ぐのが重くなる、などの影響が出てしまう。
目には見えないような、
ほんの少しの異物、ほんの少しのストレス。
これがパフォーマンスを大きく変えてしまうのだ。
そう、これは人体も同じである。
服の素材や寝具の素材、気温と湿度や部屋の材質、食事や食器、また洗剤や住んでいるところの空気、騒音、照明など挙げればきりがないが、小さなストレスを甘く見ているようでは人生は好転しない。
考えてみてほしい。例えば歯と歯の隙間に鳥のささみ肉が1日ずっと挟まっているとか、靴の中に小さな小さな石ころが1日ずっと入っているとか。
たったその程度のことで、私達はストレスを感じ普段のパフォーマンスが発揮できないのではないか?
プロのアスリートがシューズやラケットなどに異常にこだわるのはそのためだし、どこかの百獣の王は常に部屋の中の温度と湿度、また部屋の外の温度と湿度を毎日測っていてどのあたりが最も朝の目覚めが良いのかを記録していた、という話は有名である。
世の中の大半の人達が気にしない、気にも止めないことを常に気にしている人がいる。そしてその人は誰がどう見ても明らかに結果を出している。
まあ、そういうことなんだろう。
自分のストレスさえ認識できない人は、他人にストレスを与え続ける存在になっているような気もする。人体は明らかに精密機械だ。そのように設計され、そのように作られている。
もしここまで読んで疑問に思う方はコレをやってみるといいだろう。自分が一番長い時間を過ごす部屋の真ん中に、空き缶などでいっぱいになったゴミ袋を置いておくのだ。
一週間たってそのゴミ袋を捨てたときに、この一週間どれほどのストレスを感じたかを振り返ればいい。
私が言いたいのはつまり目に映るだけでもかなりのストレスを感じる、ということだ。部屋の片隅にくしゃくしゃの服があったりすると、しばらくは気にならないが、毎日それを見ていると腹が立ってくる。
まずはそういった、身の回りの小さなことからやってみてはいかがだろうか。小さなことすら出来ないヤツは、決して大きなことなど出来ない。世界を変えるよりも、まずは自分と自分の周りを徹底的に良くすることだ。
時間は無くても、改善点は死ぬほどあるものだ。
以上、戦場からのレポートであった。