答えあわせが出来るのは自分だけ。他人の正解は必要ない。
君の人生は正解だ。ただしそれに気がつけるのは、10年後、20年後、人によっては50年後かもしれない。
私の場合は、およそ15年が必要だった。いま振り返ると、たった15年か、とも思える。
しかし当時の私には、1年ですら長すぎた。待つことができなかった。耐えられなかったのだ。その時の私に、
「君は15年後、今の苦しみの意味がわかるだろう」
そう誰かが教えてくれたとしても、私には何の希望にもならない。むしろ絶望だ。私は諦めただろう。そんな途方もない時間の先にある希望なんて、手が届かない。
私を苦しめるだけだと。
この先どうなるのか、あとどのくらい苦しみが続くのか、そういったことは、知らないほうが良いし、知る必要もない。
おそらく知ったら耐えられない。私の例で書いたとおり、知っても絶望するのがオチだ。
人はなんでも知ろうとする。私もそうだ。未来がどうなっているのか、知りたい。
でも知ったら耐えられない。絶望する。やっていけない。人間はアホなのか……。
ここまで書いてみてわかったことだが、人間は、アホだ。だから今日のことだけを考えていればいいし、未来がどうとか、そんなことを気にする必要はない。
未来は誰にもわからないし、わからないほうが良い。わかったら大変だ。日々のタスクが100倍に増える。
あれもこれもと手を出して、準備に準備を重ね、それでも全く間に合う気がしないとかで、精神を病み絶望するだろう。
一言で言ってしまえば、知らないほうが幸せである。その時その時で振り回されれば良いのだ。「一年後に世界がウイルスによってロックダウンされますよ。」なんて知りたくもない。知っていたらうつ病になりそうだ。
未来や将来のことに関しては、あまり考えすぎないほうが良いだろう。老後が不安だとか言っている連中もいるが、君が老人になるまでに世界が終わらないとでも思っているのかね?と聞きたい。
話がずれてしまった。つまり、人生の答えは自分にしかわからないし、わかるとしても20年後だったり、死ぬ直前だったりするということだ。
他人の評価、他人の価値観、他人の正解、他人の答え、他人の主張、などはあまり役に立たない。むしろ有害な場合もある。
こんな自分じゃ駄目だ、と思ったときに、なぜそう思ったのか?なぜこれでは駄目なのか?それは周りの人の価値観や社会の風潮ではないのか?テレビやSNS、映画の影響は無いか?
そういったことを考えてみる。親が駄目だと言っていたからとか、周りに白い目で見られるだとか、禁止の張り紙が貼ってあったからとか、それだけで思考を止めてはいけない。
親の正解は、親の正解であり、昭和という時代のいち時期においてのみ、正解だったわけだ。正確には、昭和という時代の正解ですらない。勝手にソレが正解だと、親が思っているだけの話である。
私は数年前まで、女にモテることが男の価値であり良いことだ、そんなふうに思っていた。
しかし今ではまったくそうは思わない。自分が好きでもない女に好かれたところで、疲れるだけだし放っておいてほしいと思ったりもする。
たまに嬉しいときもあるけどね。
年齢や、その時期によって、自分の価値観は変わるし、自分にとっての正解も変わってくる。
今の自分の許せないところが、何年かしたら、自分の好きなところ、自分にしかない魅力、特徴になっているかもしれない。
人がどう思うのか、ではなく、自分が自分のことをどう思うのか、である。
完璧な人間はいない。
自分の足りない部分や弱さ、出来ない部分を認められるか。そんなことが大切なのではないだろうか。
他人の言葉に惑わされてはならない。
その人は、君のことを、なにも知らない。