周りがどうであれ私は美しく生きる。
周りがどうであれ私は美しく生きる。
他人が何をしようと関係ない。他人がどう生きていようと、私には関係ない。この世界がどうなろうとも、私には一切の関係がない。私は私で、やるべきことを日々やるだけである。
- 周りの人間がどれだけ落ちぶれていても、私には関係ない。
- 周りの人間がどれだけ醜い生き方をしていても、私には関係ない。
- 周りの人間がどれだけ腐った生き方をしていても、私には関係ない。
- 周りの人間がセンスがなく、気がきかなくても、私には関係ない。
- 周りの人間が何を言おうが、何をSNSでアップしていようが、私には関係ない。
- 周りの人間が利己的に生きようが、金と異性を崇拝していようが、私には関係がない。
私は美しく生きるだけである。この世界から優しい人間が居なくなって、仮に自分が損をすることになったとしても、私は自分らしく、そして可能ならば優しく、強く美しく生きるだけである。
周りが猛スピードでベンツを走らせていても、私はゆっくりと自転車で走るだけである。周りがゴミと排気ガスを撒き散らしていても、私はそんなことはせず、自分の道をただ進むだけである。
私と周りの人間では、行く道も違えば、たどり着く場所も違う。そして生まれた環境も違うし、育った環境もまるで違う。はっきり言って、他人の生き方や他人の言動など、なんの参考にもならないし前提が違いすぎて話にならない。
もちろん他人の生き方から刺激をもらうことは多々あるが、それが私にとって参考になるか、と言えば、あまり参考にならないことがほとんどだ。というか、仮に参考になったな、と思ったとしても、その後は結局のところ自分で自分の人生をやっていくしかないわけであって。なんというか、私の人生は今も昔もこの先も、今生きている私が経験しているものを除いては一つも存在しない。つまり後にも先にもたった一つだけの道、一つしかない人生を過ごしているわけだ。というわけで言わせてくれ。
貴様らに何が分かる、と。
まぁちょっと時間の関係でむりくり終わらせてしまうが、他人の言葉ってのは、その人の人生においての言葉、であって私には適応しない。人生の前提が違いすぎるし、私には私の人生があるのでね。
一つの刺激、として。
今回は以上になります。