超アウトプット日記

ひたすら脳内をアウトプットしていくブログ

社畜と毒親はテレビを見る。それはなぜか?

社畜毒親はテレビを見る。それはなぜか?

 

毒親はいつまで経っても毒親だし、社畜はいつまで経っても社畜のままだ。変わることはない。今変われない奴は死ぬまで変われないし、9.11に3.11、そして今回のコロナ騒ぎなど、変わるタイミングはいくらでもあったのだが、頭の悪いやつは、変わろう、という思いすらわいてこないようである。

 

社畜毒親は今日も明日も5年後もテレビを見ているし、5年前も10年前もテレビを見ていたはずだ。だからいつまで経っても毒親のままだし、社畜のまま生涯を終えるのだ。そういう生き物なのだ。

 

そしてそういった生き物は、常に他人軸で生きており、他人が悪い、他人があぁしてくれなかった、他人の言動が気に食わない、私がイライラするのは他人のせいだ、といった感じで、いつも他人のせい、人のせいにして自分という特別な存在のプライドを守っている。悪いのはいつも他人なのだ。

 

自分をかえりみることなどしない。そして自分という存在を意地でも見ないようにしている。まず自分を見ることがそういった生き物には出来ないのだ。

 

それはおそらく、自分、という腐りきった存在に目を向けることが、あまりにも恐ろしいのだろう。いつも楽な道を選び、いつも他人の考えに従って、いつも他人のせいにして生きてきた。いつも他人を責めることで自分のプライドを保ってきただけの、なんの取り柄もない、なんの努力もしていない自分に、気が付くのが恐怖なのだろう。

 

だから必死に、血眼になって今日も自分という腐りきった存在から目をそらすのだ。狂ったようにテレビを見続け、道の真ん中だろうが自転車に乗っていようがおかまいなしでスマホを見続ける。そしていつも周りにいる人間を責める。自分は悪くない。自分だけは悪くない。常に周りを悪者にし、自分が被害者のツラをするのだ。アクターである。

 

最近はアクターがいたるところに存在しているが、彼らの演技力には舌を巻く。平然と嘘を付き、自分だけの利益を追求する。自分のプライドだけを死守するのだ。私はプライドを持って生きている人間は好きだが、それは自分をきちんと見つめている場合に限る。なにもかもを人のせいにして、口先で批判しか出来ない奴は論外だ。すぐに口先が動くやつほど、自分では何もしないのだ。

 

ほとんどの場合、そういった生き物たちは、お笑い芸人やアイドルに詳しく、常に上から目線で、あの芸能人はアリかナシか、あの芸能人が不倫をした、あの芸能人の夫は誰々だ、などということに夢中だ。もしくはテレビのニュースを100%信じ切っていて、そのニュースの内容をすぐに口にする。もちろん、口にしたところで、頭が悪いのですぐに忘れてしまうのだが。この世で最も正しいのはテレビのニュースだ、といった感じで真剣にテレビのニュースを崇拝している。テレビこそが神だ!人類の進歩だ!などと思っているのだろう。

 

実際には人類は劣化の一途をたどり、もうすぐ世の終わりを迎えるのだが、どうしても、進歩だ!発展だ!進化したのだ!などと言って自分だけ気持ちよくなれればそれで良いようである。まぁわかるよ、その気持ち。嫌なことには目を向けたくないもんね。腐りきった醜い自分自身、とかね。

 

 

 

 

今回は以上になります。