超アウトプット日記

ひたすら脳内をアウトプットしていくブログ

車の中は安全だと思っている方へ。

車の中は安全だと思っている方へ。


車の中は自分だけの落ち着ける安全なスペース、という気持ちはよくわかる。外の音も、視線も気にならないし、大抵は好きな音楽やラジオをかけてリラックスしていることだろう。


しかし、車というのは実にもろい物なのだ。私は2回ほど自分の車があっけなく大破する光景を見ている。そして事故にあったこともある。


よほどの高級車でない限り、追突されたら最後。首の神経などの最もデリケートで目に見えない部分を損傷し、その瞬間からあなたは障害者として生きることになる。人生が一変する。


よく町中で、コンパクトカーや軽自動車、軽トラなどを目にするが、私はソレを見るたびに思う。あぁ、こいつら、もらい事故の経験がないんだなぁ、と。よくもまぁ、そんなダンボールみたいな車体で車道に止まれるなぁ、と。


私は過去に、信号での停車中に後ろから猛スピードで追突された経験がある。普通ドライバーは、自分の車が止まっている時は、安心して気を緩めるものだろう。考え事をしてみたり、ボッーとしてみたり。そんな時に突然、爆音が聞こえ、私の人生は根底から変わってしまった。


私はその日、その時から、何も出来ない人間になった。それまでは当たり前にやっていた仕事や家事、遊びや思考などが全て出来なくなったのだ。体調は悪化し、思考はまとまらない。吐き気と目まいに襲われ、収入はゼロになった。


私の男としてのプライドは粉々に砕け散り、完全なるニート、負け組となったのだ。


私が言いたいのは、自分の話ではなく、車に乗っている限り、まるでオセロのように一瞬にして人生が反転する可能性があるということだ。


一見かたそうに見える車も、追突されれば紙を丸めたようにクシャクシャになるし、仮にそうならなかったとしても、衝撃の反動で首の神経がヤられること間違いなしだ。そして目に見えない神経という部分は、脳と体に対してダイレクトに悪影響を与える。周りの人間から理解されることもないだろう。なぜなら一見、とても元気そうに見えるからだ。体の外側は。


特にこの日本では、パッと見て元気そうな外見をした男が、仕事をしていなかったりするだけで非難や攻撃の対象となることが多い。

誰もがその人の外側しか見ないのだ。


ま、それはさておき、次の話に入ろう。私はある日、朝起きて仕事に行こうと車に向かった。前日はひどい台風だったらしいが、特に気にすることもなく過ごしていた。いつも通り自分の車に向かうと、なにやら人混みができていた。


私の車が大破していたのだ。車の屋根に大木が乗っかっていて、車はぺしゃんこだ。もしも私が車で寝ていたら死亡していたレベルだ。車というのは実に簡単にぺしゃんこになるのだ。


たかだか木の一本が車の上に倒れたくらいで、そこまでダイナミックに大破するとは、その時までは想像することもなかった。見た目に騙されちゃいけない。車ってのはダンボールみたいな物なんだ。塗装がキレイ目にされているだけで、強度の面では大したことがない。


車に乗り込むと安心する気持ちはわかるし、私も昔は安心していた側の人間だった。遮音性とか、ドアを締める音とかで、無条件に安心してしまう。しかし真実はいつも残酷なのだ。

車に乗るということは、ロシアンルーレットに参加しているということ。


自分が完璧な運転をしていようが、そんなことは関係ない。後ろに一匹のアホが居たらそこで終了である。あなたの人生はそこで反転する。


気を付けてもらいたいものだ。最低でも500万円クラスの車でなければ怪我は免れないのではないか、と私は思う。最後に言っておくが、この日本という国は一度レールから外れた人間、つまり負け組と認定されてしまった人間には人権も無ければ居場所も無い構造になっている。極端に言うとレールから外れた瞬間に終了、というシステムになっているので、そのことを踏まえた上で、車に乗るか乗らないか、人生を賭けてロシアンルーレットに参加するのかしないのか、を決めていただきたいものである。






今回は以上になります。