感覚の無い人達。
感覚の無い人達がいる。
感覚が無くなった人達。
人のもつ五感のうち、いったい、いくつ消えて無くなったら気が付くのだろうか。
あぁ、感覚が無くなるから
気が付くことはできないのか。
他人の車に乗ると、鼻がもげそうなくらい臭いことが、よくある。
感覚が無いので、本人は全く自覚がない。トイレの芳香剤のようなニオイで、車内を満たしている。
そんな車は、ただ通り過ぎるだけでも臭いのだ。車から結構な距離が離れていても、強烈なニオイを撒き散らしている。
嗅覚がほとんど無い人間が増えている。
次に多いのが、味覚がほとんど無い人間だと思われる。人間のもつ五感が失われているにもかかわらず、本人は平然としている。
感覚をもたない生物というのは、
非常に気味が悪い。
本人に感覚が無いので、相手がどう感じるか、ということが分からない。
これはロボットと同じというか、まだロボットのほうが周りに迷惑をかけなくていい。
いまのところロボットは人の言うことを聞く。
しかし感覚の無い人間はどうだろうか。
嗅覚が無い人間に「臭いよ」と言っても、そいつはヘラヘラと笑うくらいだろう。自覚が一切ないので、話が通じないし、治そうとしない。
なぜなら、そいつにとって治す理由がないからだ。理由がなければ、人は行動を起こさない。
感覚を失う原因はたくさんある。そして失うことによって得られるメリットも、ある。
自分の限界を超える仕事やストレス、過酷な環境ではまともな感覚をもっていたらやっていけない。
一時的に感覚をマヒさせる必要もあるだろう。しかし線引きが非常に難しい。戻ってこれなくなる可能性があるからだ。
何も考えずに適当な食事を長いこと続けていると、気がついたときにはもう手遅れというパターンもある。いつの間にか感覚の無い人間になっている。
他の病気もそうだが、気がついたら手遅れ、というパターンが多い。
本人は気が付かない。
そういう私も、【気がついたら手遅れ】という経験を何度かしてきた。ただ私の場合は、驚異のリカバリー力と、瞬時に生き方を変える力があったので、なんとかギリギリのところで間に合ってきた。
最近、あまりの空気の汚さ、街の汚さにうんざりすることがある。
自分の感覚を消して、楽に生きたいと思ったりもする。しかし、どれほどリアルに苦しみを感じるとしても、私はその中で苦しみ続けることを選択する。
感覚の無い人間には、なりたくないんでね。
今回は以上になります。