超アウトプット日記

ひたすら脳内をアウトプットしていくブログ

幸せにならなくていい。

幸せにならなくていい。


「幸せになるために生まれてきた」というのは100%間違いである。一つ質問をしたい。幸せになれなかった人達は、生まれてこなかったほうが良かったのだろうか?


決してそうではない。そもそも、この「幸せ」という漢字に対して、私は良い印象をもたない。昔の本には「仕合せ」と書いてあるし、戦後GHQによって教科書の墨塗りが行われ、敵国の都合の良い部分だけが残された歴史がある。


明らかに文字も「操作」されているし、表記が変わった漢字は他にもたくさんある。刺戟→刺激、のように。昔の日本はとても美しい言葉を使っていたようだ。言葉が変われば人格が変わり、人格が変われば国が変わる。そのことを知った上で、「操作」したわけであって、他にもこういったことはたくさんあるだろう。


この前私はおもしろい経験をした。狭い道で女子の学生とすれ違ったのだ。なにぶん歩道が狭くて、私とその学生はお互いに別方向に進んでいた。学生のほうは友達連れで二人であった。


その道は人が二人並ぶともう通れなくなるような道で、女の学生は横に二人並んでいたのだが、私はどちらかの学生が端によるだろうとスピードを緩めることなく自転車で進んだ。その学生も自転車であった。


お互いがぶつかるギリギリのところで、学生がよけて私はスッと通れたのだが、そのときに学生が「最悪」と言ったのが聞こえた。


私としては何も気にしていないし、私の感情はそのとき1ミリも動いていなかったのだが、その学生にとっては最悪な出来事だったようだ。


へー、狭い道を塞いでおいて、向こうから人が来てギリギリのところで端によるという行為が、この学生にとっては最悪な事なんだ、と私は関心した。


すごいな、この程度のことで「最悪」という言葉を使うのか、と私は驚いた。その学生の人生はこの先「最悪」なことばかり起こるだろう。


本人がその言葉を使い、そう認識しているからだ。言葉をナメてかかっちゃいけない。今の時代が醜いのはなぜだろう?それは醜い言葉を使う人間が増えたからだ。人が自殺するのも言葉による影響が大きい。言葉にはその力がある。


頭の良い人間はそのことがわかっているし、教養のある人間は汚い言葉を使わないものだ。


昔は武士にナメた口をきいたら、その瞬間に「無礼者」という言葉と共に刀で切り殺されたわけだが、人間というのは実に移ろいやすいものである。とても同じ国とは思えない。


今までの先人たちが残した美しい文化も、既にほとんどが消え失せている。命をかけて残したもの、命をかけて託したものが、今やまるでゴミのような扱いを受けている。


ま、人間とはその程度の生き物なのであろう。恩を忘れ、感謝を忘れ、自分の欲だけをひたすらに貪り食う醜い存在なのであろう。


そのような人間が、「私は幸せになるために生まれてきたの♪」などと言い、自分の欲だけを満たしている。自分の欲を満たすことは結構だが、そのときに相手のことは考えないのか?


すぐに暴力をふるう男は、自分のストレスをすぐに相手に暴力という形で表現し、自分はスッキリ気持ちよくなっている。


子供を虐待する女は、自分の機嫌や自分の感情を全て弱い相手である子供にぶつけて自分のストレスを解消している。自分はスッキリ。自分だけはストレス解消。それで、良いんですか。


私はそういった醜い存在にはなりたくない。そんなことをするくらいなら、自分の「幸せ」などは要らないし、必要ないと思う。


そもそも人生の目的は幸せになることではない。戦争で死んだ者や、若くして病気で死んだ者、震災で死んだ者や殺された者などに対して、「あなたは幸せにはなれなかったので人生の目的を達成できていませんね。」


と言うつもりだろうか。誰かが決めた偽りの目的に翻弄されてはならない。あなたには、あなただけの、使命がある。託されていることがあるはずだ。


誰かの言葉に惑わされるな。幸せにならなくていいし、私はむしろ幸せにならないことに誇りを感じている。その意味が、わかるかね?









今回は以上になります。