超アウトプット日記

ひたすら脳内をアウトプットしていくブログ

全ての不安と絶望を凌駕する。

全ての不安と絶望を凌駕する。


ピロピロ。ピロピロピロ。
我々はスクワットだ。ちがっ。アッー。


ということで今回も始まりました。このコーナー。いやー、始まってしまいましたねー。では、いきましょう!ブっビーン

私には、全ての不安と絶望を凌駕する時がある。それは大抵の場合、もう自分の力ではどうにも出来ないことを確信した時だ。


完全なるお手上げ状態。詰んだ状態。やれることは全てやった。全てやったからこそ、わかるのだ。もう終わりだと。ここから挽回することは不可能だと。状態が良くなることはないと。

しかし、それで良い。


そこまで追い詰められて初めて、見えてくる別の世界がある。そこでは自分の力など必要ない。もっと言えば今のボロカスの自分を変える必要すらない。自分を変えようと思うこと自体がナンセンスだ。変わらなくていいじゃないか。病気のままで良いし、ニートのままで良いし、トラウマなんて癒やさなくても良い。何もできなくて良いし、何も生み出さなくて良い。


たくさんのことができる人も時が来れば必ず死に、誰も彼のことは思い出さない。たくさんのことができる人を世の中は偉いと言うが、本当にそうだろうか?動物は食って遊んで寝るだけだし、動物に偉い動物と、偉くない動物がいるのだろうか。仮にいたとしてもその偉い動物は、私たちから見た場合どう見えるだろうか。


所詮どうぶつは動物だ。


そう見えるのではないだろうか。現代はやたらとスキルやパラメーターなどその人の能力を見てジャッジを下す傾向にあると思うが、なぜだろう。そして誰もがこの価値観の中で争うように競っている。こんなことを書いている私ですら、この価値観から完全に外に出ることはできない。それほどまでにこのスキル崇拝、能力を崇拝するカルト宗教にどっぷりと浸かっているのだ。これは、あまりにも危険だ。


今の日本で、このカルト宗教から完全に抜け出した人は、いるのだろうか。いたとしても、少ないだろう。いや、少し前の日本にはこんなカルト宗教はなかったのかもしれない……。


いずれにせよ、自分の能力や他人の能力を崇拝するという行為は危険なカルト行為であり、あまり役に立たない。自分や相手というちっぽけな存在に目を向けるのではなく、自分や相手のパラメーターや能力に目を向けるのでもなく、もっと大きくて、力強い存在、変わることのない永遠の存在、天と地とこの命をつくった存在に、目を向けたい。自分に囚われることなく。





今回は以上になります。